いつの間にか梅雨があけて連日の猛暑。
今年は冷夏になるって言ってたよね?
言ったの誰よ?
岐阜県多治見市では最高気温39.3℃になった日も。
昔はこんなに暑くなかったよねぇ・・
子供の頃はエアコンなんかなかったし、寝るときはいつも眠りにつくまで母がうちわで扇いでくれた記憶がある。
熱中症なんて言葉もなかったはず。
朝の朝礼中貧血で倒れちゃう子はいたけど今みたいに過保護じゃなかった。喉が渇いたら水道の水飲むくらいじゃなかった?
あれ・・ジェネレーションギャップw
ゲリラ豪雨もね、誰がつけたんだろね。梅雨明けの頃って大気の状態が不安定になって雷が鳴ったり大雨が降ったり、そんなに大騒ぎする事じゃなかった気がする。夕立って言葉だって相当昔からあるよね。
いろんなことが大袈裟で、小さな事気にしすぎで、ちょっとしたことで誰かを責めてクレーム入れたりする、、なんだか生きにくい世の中になったなあと最近思う。
これってやっぱり年取ったってことなのかな。
*
今住んでるところに引っ越して2年と少し。
あの時は、あの土地から離れたくて、子どもたちともいろいろあって少し距離を置いた方がいいって思ったし、当時の自分の行動範囲も考え、また妹夫婦の近くで暮らしたかったっていうのもあって、思い切って引っ越した。
緑が多くてまったく危険を感じない閑静なこの街並がとても気に入っている。
だけど、、戻りたくなっちゃった。
生まれ育った街へ。
子どもたちと離れて暮らすようになってから、不思議と一緒に出かけることが多くなった。それぞれの家を行き来したり、ご飯食べにいったり、お酒飲んだり、お祭りに行ったり、花火を観に行ったり。家族の誕生日にはプレゼントを持ち寄って集まるのが習慣になりつつある。
長男とは何年も疎遠になってたし、2年前は子どもたちとこんなにも一緒に過ごすことができるなんて思っていなかった。離れて分かる親の偉大さ、かな。(自分で言う)
親孝行したいときには親はなし、とか、いつまでもあると思うな親と金、とかw 両親を早く亡くしたわたしは身をもって実感している。だから、もっと近くにいたいって強く思うようになった、のかな。
妹夫婦の近くに住みたいって思ったのは、もっと日常的に、たとえば一緒に買い物行ったり、ご飯食べたり、遊んだり、近くにいたかった。でも妹夫婦の生活にわたしの入る余地はなかった。依存してたのかな、、だから物足りなかったのかな。
わたしは経済的にも自立していたし、子どもたちに依存する気もなかった。依存する気は今もないけど。ひとりになりたかったし、誰にも干渉されずに自由に生きていきたかった。
好きな人もいたし、その人ともっと近づきたい。もっと一緒にいたいって思ってた。その人と会うことが生きていくモチベーションにもなっていた。そばにいられる夢を見ていた。
夢は儚く消えちゃった。
嫌いになったわけじゃない。心変わりもしていない。
だけど、目が覚めてしまったの。
現実を知ってしまったの。
だからっていうわけじゃないのよ。家族が恋しいって思えるのは。
なんだろうなあ、自然の流れなんだろうなあ
でも。
少し離れてるくらいがちょうどいい、っていうこともわたしは知ってる。
今の会社はクソだけど。いや、クソなのはしゃちょーと数名。尊敬できる素敵な人たちがいるから、もう少し頑張る。
あっちこち具合悪いし、月曜のこと考えると日曜の夜は眠れなくなるけど、、がんばらなきゃなあって思ってる。
ここでもう少し暮らしていこう。
あと1ヶ月もすれば少しは涼しくなるだろうから、街を徘徊しよう。(ウォーキングね)
*
今日の空。
午後、ゲリラ豪雨wがやってきて、バケツひっくり返したみたいな雨が降って、で、このキレイな夕焼け。
生きてるんだなあ、って思った。
昨日も今日も、家事以外なーんにもしてないけど。
今のモチベーションは、しゃちょーを倒すことで、あと楽しみは、平日録画したドラマ見て、見ながら寝て、半身浴しながらワンピース読むことくらいだけど。
明日も生きていたいと、今はとても強く思っています。
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